2019年12月7日に宇都宮大学でシンポジウム「 『とちぎ仕事学』を通して考えるこれからの時代の地域づくりと私の生き方」が開かれました。同シンポジウムは、学生と社会人による [対話と思考の場] 「『地域づくり×生き方』の意味を問う 」セミナーの第4回に当たり、第1回から講師を務めてきた、徳島県神山町と福岡県福津市の津屋崎千軒でそれぞれ実践をされる西村佳哲さん、山口覚さんと共に、私も登壇しました。講師としての私の参加は第2回からとなりますが、同じ講師が毎年揃って参加者と対話をしつつ議論を重ねてゆくことの意義を、このシリーズ企画に見出していました。
今回、私は、同大学の地方創生推進事業において開講された科目「とちぎ仕事学」受講生の思い、考え、訴え (レポートを元に分析・作成された参考資料が予め講師へ配布されました) に応えることも念頭において発表内容を構想しました。私は、「地域の文理融合研究について」と題し、自身の研究・実践に関した報告をすることを中心においてスライドショーを作成しました。また、参考資料から福島県只見町布沢区で研究活動を熱心に行ってきた同大学の研究室とそれを引き継ぐサークルD-friendsがあると知り、只見川沿川の下流側に当たる三島町早戸区で私が参加してきた活動、東北芸術工科大学「早戸温泉環境整備実習」を紹介し、今後お互いに協力ができないか呼びかけようと考えました。
「文理融合」は以前から必要と言われ、日本の大学では最近また使われるようになってきたと感じています。それは、総合科学または自然・社会科学と人文学 (humanities) の総合のことと認識しています。 私の職能である環境デザインにおいては、計画対象地の立地する地域の総合的研究は必須と考えられます。その理由を以下に書きます。
ある地域には、はじめに自然があり、そこで人間が生業や暮らしを営むために土地を利用し自然物を資源として利用してきました。はじめに自然環境があり、そこへ重ねるように社会環境がかたちづくられるわけですから、自然を科学することと社会を科学することが、まず地域研究の中で必要となります。そして、ある地域に生まれ育ち今も暮らす人や今はよそに暮らす人、その地域へ移り住んだ人、好んでそこへ訪れる人等々、人びとの心と地域の関係を何らか把握しようとすることも大切で、人文学も地域研究に欠かせません。さらに、言葉や数値にどうしても置き換えられないこともあり、またそれらが絵や音に表現されると人びとに感知され共通理解される場合があるという事実も肝要で、それも人文学に含まれます。
日本でよく扱われる (地域の) 「風土」という概念に照らし合わせてみると、上に書いたことはさらにわかりよいかと思います。地域の風土は、当地の自然に人間が暮らしや生業を通してはたらきかけてできた生活世界であり、より厳密には当地の生活者に共観される生活世界の像のことです。私は、日本における環境デザインは、生活世界の形成主体である地域にかかわる人びとの風土形成を支える環境形成技術として行使すべきと考えています。そのためには、人びとに地域のあらためての理解を促せるよう (そのことで日常がより豊かに感じられるようになるであろうことへの期待も込めて) 、地域研究はその地域に暮らし働く方々、生活者と共同で行うべきだとも考え、それを実践するように努めています。その中では、上の段落に書いたように自然・社会科学、人文学の総合が求められます。
私のこうした風土の理解は、 (スライドに掲載した) 宗教学研究者による定義を基にしたものですが、哲学、地理学、人類学、考古学、歴史学、民俗学、気候学、生態学、生態学的建設工学、芸術学等にかかわる研究者、技術者など実践者らとの共同研究・作業を通して知ったことの総合の上に検証し、今はそう考えています。地域研究の方法は、デザイナーとして工夫してきたものを、日本地理学会と日本景観生態学会に所属して学術的に検討し、質を向上しようとしています。
加えて、日本には、こういう問題もあると思っています。一つには、主に何かを調べることに長けた研究者が、調査の対象としているものごとを自ら構想する訓練は積んでいないのに、調べている何かの「専門家」として国や地方公共団体から意見や発想を求められ、実際的でない何かが実現されてしまう実態がありはしないでしょうか。一方、主に何かをよりよくできるかもしれない方法を思いつくことに長けた技術者、デザイナーなどが、その何かを詳しく調べて確かに理解する訓練は積んでいないのに「専門家」として国や地方公共団体や企業から業務を託され、厳密にそれが妥当か検討されていない何かを、結局はある思いつきをもとに (思いつきを「正当化」して見せる、一つ二つの根拠めいたものを揃えるだけで。だから、本当の意味での論理的思考・検討に基づかず短絡によって) 計画・設計し実現してしまう実態があるとも、私は見ています。
もう一つ付け加えます。計画・設計する技術とそれを実際に製作または施工し管理する技術は、異なります。
「文理融合」、総合科学が人間のための知識の結集を指すならば、それによって見出される理念、理想の実現のための技術の精査・向上も合わせて目指されてゆくことが当然必要であると、私は考えます。 そのためには、種々の研究者や技術者が参集するだけでなく、それぞれに、あるいはその中の一人でも諸学術・技術領域を結びつけ、学術調査から計画・設計および製作・施工・管理までを結びつけられる感覚、知識、技術をどこまでか身につけている必要がありはしないでしょうか (環境デザイナーとして、物理的環境を形成する場合を思い浮かべながらこう書いているまでなのですが) 。
こうした諸学術・技術領域を結びつけられる思考と技術の探求は、新しい学問の課題であるように思われます。こうすればよい、と明示できることは今の私にはありませんが、三島町早戸区では地元の方々の厚意を受けて調査・計画・設計・施工・管理の各工程を経験できる機会が、研究者・技術者そして学生の有志と共に得られてきています。当初は、遊歩道に接した切土面へ周囲の石を用いて空石積工を施し保護するといった施工の経験を主に起案した実習で、詳細な地域研究を必要としていませんでした。しかし、豪雨災害に遭い大規模な補修が必要となるなどする中でさまざまな問題が見え始め、環境形成における各工程を踏むことが求められてきました。それを通して、思い、考えることができるようになったことをもとに、宇都宮大学シンポジウムでの発表を行っています。
私は、諸学術・技術領域を結びつけられる思考と技術の探求を、今を生きる人びとの福祉から社会の健やかな持続までを目的として継続してゆきたい考えです。進展がありましたら、また報告します。
追記 (2020年1月3日) :
宇都宮大学シンポジウム後半の意見交換「これからの時代の私の生き方」では、同大学を卒業してまだ2年経たない若者たち2人も登壇しました。1人は発酵、もう1人は地域共同体の核心となる人間関係の醸成への関心を軸に、それぞれに関連するさまざまな情報、知識を束ね合わせて地域観の提示と問題の提起、実践の説明をされ、私とはまた違った視点の持ち方と思考の進め方に学ばせてもらいました。
地域の総合的研究は、この2人、小泉泰英さん (株式会社アグクル 代表) と平子めぐみさん (とちぎ市民活動推進センターくらら 勤務) が示されたように、それが地域の実情や可能性を把握し望ましい将来像を模索してゆくために必要と理解できてさえいれば、いろいろな方法をそれぞれに創りながら行えるものと思います。