2024/02/06

中山間地域の棚田の価値 (環境的観点から) Value of terraced rice paddies in mountainous areas: from an environmental perspective)

 

 


 2024118日、栃木県棚田勉強会 ( 栃木県棚田地域将来ビジョン策定事業) で、「中山間地域の棚田の価値 (環境的観点から) 」と題して発表を行いました。報告の目的は、棚田の価値を環境の面から考えるうえで役立つと思う観点を農業者、市民、行政担当者の方々に向けてお伝えすることとしました。そして、「生物と生態系」「水質浄化」「防災・減災」「放牧による棚田の保持」の4つの観点から、水田、棚田に関した学術文献の参考となる箇所を紹介しています。

 
なお、それらの文献には、202411日に発生した能登半島地震被災地の復興に際しても、今後、中山間地域における農用地再生・保全の参考となる面があるように思います。そう考えて、上記の勉強会で用いた発表資料を公開することにいたしました。

 本ウェブログは、2011311日に発生した東日本大震災の被災地の復興を微力ながらも支援できればと開設したものです。わが国では、その後も数多くの地震、豪雨などの災害が起きています。いずれの被災地でも、地域の自然、歴史、文化に合ったかたちで、ゆえに持続的に、さらにはそこに暮らしてこられた方々の地域への愛着が尊重されながらの復旧・復興が図られてゆくことを願っております。


 「地域の自然、歴史、文化に合った」には、例えば引用文献にあるのですが、「過去の崩落土塊上に造成された棚田の場合、地盤が軟弱なだけでなく、かつての地盤が滑り面となって再崩落しやすい条件にある」ことへの留意なども含まれると考えています。

出典: 中島敦司・中野慎二・Ganeindran Rainoo Raj・水町泰貴「棚田地形が土砂崩落の軽減に与える影響」『日本緑化工学会誌』43 (1)、日本緑化工学会、2017年、199-202
DOI: https://doi.org/10.7211/jjsrt.43.199

 上記引用文は、こう続けられます。「このため、滑り面に降雨を浸透させることは崩落の危険性があるが、棚田は水田であるため『床 (とこ) 』と呼ばれる遮水層を毎年の代掻きによって整備する。田起こしが完了した田んぼに水を張って、土をさらに細かく砕き、掻き混ぜて、土の表面を平らにするこの作業は、棚田の遮水層を維持、管理する役割を持ち、その結果、棚田のテラス構造自体が崩壊することを防ぐ効果があると考えられた」。

 どこで暮らしと生業を営むかは、日本列島のように地震活動や火山活動が活発で風水害が頻繁に起こる地域で、自然災害による危機をできるだけ回避するために、根本的に肝要なことといえます。

 このことは、さまざまな角度から検証してみて初めて結論づけられます。また、予測しきれない自然の変化やそれらを顧みないことから高められる人災の危険性に備えるべく、「結論」が仮説の域を出ないことも留意しておく必要があります。

 私は、能登半島の地理についてほとんど知らず、東日本大震災被災地でのようには活動できないと思います。ただし、北陸には本質的な地域復興のためにはたらけるであろう方々がおられると思います。求めがあればそうした方々の復興支援に協力し、あるいはこの方々の日常業務をなんらか支えることで復興支援のための時間を確保いただくようなかたちでのプロボノ活動が可能ではないかと考えているところです。



栃木県棚田勉強会
( 栃木県棚田地域将来ビジョン策定事業)
主催: 栃木県農村振興課
事務運営: 有限責任事業組合 風景社
コーディネイト: トチギ環境未来基地





出典: 日鷹一雅・嶺田拓也・大澤啓志「水田生物多様性の成因に関する総合的考察と自然再生ストラテジ」農村計画学会誌27 (1)、農村計画学会、2008年、20-25DOI: https://doi.org/10.2750/arp.27.20

出典: 清水裕太・望月秀俊・松森堅治「中山間地における圃場整備によって造成された棚田の地下水流動特性

日本水文科学会誌50 (2)、日本水文科学会、2020年、71-83DOI: https://doi.org/10.4145/jahs.50.71

出典: 中島峰広「棚田の分布と特質」農業土木学会誌70 (3)、農業農村工学会、2002年、195-198DOI: https://doi.org/10.11408/jjsidre1965.70.3_195

出典: 清水裕太・望月秀俊・松森堅治「中山間地における圃場整備によって造成された棚田の地下水流動特性」日本水文科学会誌50 (2)、日本水文科学会、2020年、71-83DOI: https://doi.org/10.4145/jahs.50.71

出典: 日鷹一雅・嶺田拓也・大澤啓志「水田生物多様性の成因に関する総合的考察と自然再生ストラテジ」農村計画学会誌27 (1)、農村計画学会、2008年、20-25DOI: https://doi.org/10.2750/arp.27.20

出典: 廣瀬俊介風景資本論朗文堂、2011年、36-37https://shunsukehirose.blogspot.com/2013/04/landscape-as-capital.html


出典: 帰山雅秀「水辺生態系の物質輸送に果たす遡河回遊魚の役割」日本生態学会誌55 (1)2005年、51-59 DOI: https://doi.org/10.18960/seitai.55.1_51


出典: 帰山雅秀「水辺生態系の物質輸送に果たす遡河回遊魚の役割」日本生態学会誌55 (1)2005年、51-59 DOI: https://doi.org/10.18960/seitai.55.1_51

出典: 鷹一雅・嶺田拓也・大澤啓志「水田生物多様性の成因に関する

総合的考察と自然再生ストラテジ農村計画学会誌27 (1)、農村計画学会、2008年、20-25DOI: https://doi.org/10.2750/arp.27.20



出典: 阿南光政、弓削こずえ、中野芳輔、大平裕「水田の水利用が生態系に及ぼす影響評価」九州大学大学院農学研究院学芸雑誌62 (1)号、91-100を廣瀬改変 (2023)。調査地: うきは市浮羽町 https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/8881/p091-100.pdf


 

出典: 金子文宜「水田や畑地が生命や環境を守るはたらき印旛沼流域水循環健全化調査研究報告』1

中村俊彦・小倉久子編、印旛沼流域水循環健全化会議・千葉県、2012年、22-23https://inba-numa.com/html/file/torikumi/mitameshiseika/mitameshiseika_04.pdf

出典: 金子文宜「水田や畑地が生命や環境を守るはたらき印旛沼流域水循環健全化調査研究報告』1

中村俊彦・小倉久子編、印旛沼流域水循環健全化会議・千葉県、2012年、22-23https://inba-numa.com/html/file/torikumi/mitameshiseika/mitameshiseika_04.pdf


出典: 金子文宜「水田や畑地が生命や環境を守るはたらき印旛沼流域水循環健全化調査研究報告』1

中村俊彦・小倉久子編、印旛沼流域水循環健全化会議・千葉県、2012年、22-23https://inba-numa.com/html/file/torikumi/mitameshiseika/mitameshiseika_04.pdf

南雲俊之・松本直樹・海野達也「森林・茶園・水田複合流域における土地利用パターンと河川水窒素

リン濃度のパス解析」日本土壌肥料学会講演要旨集 - 2010年度北海道大会セッションID: P1-2 DOI: https://doi.org/10.20710/dohikouen.56.0_13_2


出典: 中島敦司・中野慎二・Ganeindran Rainoo Raj・水町泰貴「棚田地形が土砂崩落の軽減に与える影響」

日本緑化工学会誌43 (1)、日本緑化工学会、2017年、199-202DOI: https://doi.org/10.7211/jjsrt.43.199

出典: 中島敦司・中野慎二・Ganeindran Rainoo Raj・水町泰貴「棚田地形が土砂崩落の軽減に与える影響」

日本緑化工学会誌43 (1)、日本緑化工学会、2017年、199-202DOI: https://doi.org/10.7211/jjsrt.43.199

出典: 中島敦司・中野慎二・Ganeindran Rainoo Raj・水町泰貴「棚田地形が土砂崩落の軽減に与える影響」

日本緑化工学会誌43 (1)、日本緑化工学会、2017年、199-202DOI: https://doi.org/10.7211/jjsrt.43.199

出典: 中島敦司・中野慎二・Ganeindran Rainoo Raj・水町泰貴「棚田地形が土砂崩落の軽減に与える影響」

日本緑化工学会誌43 (1)、日本緑化工学会、2017年、199-202DOI: https://doi.org/10.7211/jjsrt.43.199

出典: 中島敦司・中野慎二・Ganeindran Rainoo Raj・水町泰貴「棚田地形が土砂崩落の軽減に与える影響」

日本緑化工学会誌43 (1)、日本緑化工学会、2017年、199-202DOI: https://doi.org/10.7211/jjsrt.43.199

出典: 中島敦司・中野慎二・Ganeindran Rainoo Raj・水町泰貴「棚田地形が土砂崩落の軽減に与える影響」

日本緑化工学会誌43 (1)、日本緑化工学会、2017年、199-202DOI: https://doi.org/10.7211/jjsrt.43.199

出典: 中島敦司・中野慎二・Ganeindran Rainoo Raj・水町泰貴「棚田地形が土砂崩落の軽減に与える影響」

日本緑化工学会誌43 (1)、日本緑化工学会、2017年、199-202DOI: https://doi.org/10.7211/jjsrt.43.199

出典: 綉紡・高瀬恵次「棚田流域と山林地流域の直接流出特性比較」農業土木学会論文集2007 (248)

農業農村工学会、137-143DOI: https://doi.org/10.11408/jsidre1965.2007.137

出典: 高橋佳孝「耕作放棄地における放牧による保全管理」農村計画学会誌21 (4)2003年、348-355DOI: https://doi.org/10.2750/arp.21.337

出典: 高橋佳孝「耕作放棄地における放牧による保全管理」農村計画学会誌21 (4)2003年、348-355DOI: https://doi.org/10.2750/arp.21.337
出典: 高橋佳孝「耕作放棄地における放牧による保全管理」農村計画学会誌21 (4)2003年、348-355DOI: https://doi.org/10.2750/arp.21.337
出典: 公益社団法人 山口県畜産振興協会|山口型放牧研究会 https://yamaguchi-lin.jp/yamahaou/yamahaou-2.html (2024-01-06 参照)
出典: 高橋佳孝「耕作放棄地における放牧による保全管理」農村計画学会誌21 (4)2003年、348-355DOI: https://doi.org/10.2750/arp.21.337
出典: 高橋佳孝「耕作放棄地における放牧による保全管理」農村計画学会誌21 (4)2003年、348-355DOI: https://doi.org/10.2750/arp.21.337
出典: 高橋佳孝「耕作放棄地における放牧による保全管理」農村計画学会誌21 (4)2003年、348-355DOI: https://doi.org/10.2750/arp.21.337
出典: 高橋佳孝「耕作放棄地における放牧による保全管理」農村計画学会誌21 (4)2003年、348-355DOI: https://doi.org/10.2750/arp.21.337
出典: 高橋佳孝「耕作放棄地における放牧による保全管理」農村計画学会誌21 (4)2003年、348-355DOI: https://doi.org/10.2750/arp.21.337
出典: 高橋佳孝「耕作放棄地における放牧による保全管理」農村計画学会誌21 (4)2003年、348-355DOI: https://doi.org/10.2750/arp.21.337

出典: 福田栄紀「放牧利用される放棄農林草地でのスイバに対するヤギと牛の採食特性」日本草地学会誌54 (1)

2008年、40-44DOI: https://doi.org/10.14941/grass.54.40

出典: 福田栄紀「放牧利用される放棄農林草地でのスイバに対するヤギと牛の採食特性」日本草地学会誌54 (1)

2008年、40-44DOI: https://doi.org/10.14941/grass.54.40

出典: 丸居 篤・藤堂乃夫宏・岡安崇史・後藤貴文・衛藤哲次・塩塚雄二・高橋秀之「放牧による耕作放棄地解消がイノシシの行動に及ぼす影響」

日本暖地畜産学会会報57 (1)2014年、17-22DOI: https://doi.org/10.11461/jwaras.57.17

出典: 丸居 篤・藤堂乃夫宏・岡安崇史・後藤貴文・衛藤哲次・塩塚雄二・高橋秀之「放牧による耕作放棄地解消がイノシシの行動に及ぼす影響」

日本暖地畜産学会会報57 (1)2014年、17-22DOI: https://doi.org/10.11461/jwaras.57.17

出典: 丸居 篤・藤堂乃夫宏・岡安崇史・後藤貴文・衛藤哲次・塩塚雄二・高橋秀之「放牧による耕作放棄地解消がイノシシの行動に及ぼす影響」

日本暖地畜産学会会報57 (1)2014年、17-22DOI: https://doi.org/10.11461/jwaras.57.17
出典: 高橋佳孝「耕作放棄地における放牧による保全管理」農村計画学会誌21 (4)2003年、348-355DOI: https://doi.org/10.2750/arp.21.337

出典: 廣瀬裕一「農村計画分野での最近10年の再生可能エネルギー研究の動向」農村計画学会誌33 (3)2014年、356-361DOI:
https://doi.org/10.2750/arp.33.356

出典: 廣瀬裕一「農村計画分野での最近10年の再生可能エネルギー研究の動向」農村計画学会誌33 (3)2014年、356-361DOI:
https://doi.org/10.2750/arp.33.356

出典: 鈴木知之「牛のあい気に含まれるメタンの畜舎での測定」畜産技術2022 (803-Apr.)、畜産技術協会、2022年、41-43
DOI: https://doi.org/10.57546/livestocktechnology.2022.803-Apr._41

参照: 環境省|自然の恵みの価値を計る|生物多様性と生態系サービス

https://www.biodic.go.jp/biodiversity/activity/policy/valuation/service.html (2024-01-06 参照)

参照: 環境省|自然の恵みの価値を計る|生物多様性と生態系サービス

https://www.biodic.go.jp/biodiversity/activity/policy/valuation/service.html (2024-01-06 参照)






2023/12/24

大渓行抄出: 大渓老街と桃園市立大渓木藝生態博物館を中心に Daxi trip extracts: Focusing on Daxi Old Street and Daxi Wood Art Ecomuseum

 


 20231217日から21日にかけて、私が参加する栃木県益子町の地域コミュニティ・ヒジノワと台湾は桃園市大渓区の生活工芸拠点・C House溪房子 (陳美霞代表) 1)との「勝手姉妹郷2)プロジェクトの一環として、大渓を初めて訪ねました (写真12) 。同区は桃園市の中央部に位置し、面積105,1206 km2、人口94,648人 (202311月現在) を擁します。 

 

写真1 中山路 (新南老街) の夜景。2023/12/17


写真2 和平路 (和平老街) の朝。2023/12/18

 

 大渓では、歴史的な町並みを留めた街区、地区を指す「老街」の一つ、大渓老街と、その保存・再生を合わせて当地の「木材産業と人々の生活文化の保存、記録を続け、普及を図り、大渓を壁のない博物館としてゆくこと」を目的に、2015328日から活動する桃園市立大渓木藝生態博物館3)を中心に案内いただきました (写真3) 。


写真3 「大渓木藝生態博物館パンフレット」日本語版。くわしくは、桃園市立木藝生態博物館ウェブサイト「博物館舎分布 (館舎として保存・活用される建物の群と老街の位置が示される) https://wem.tycg.gov.tw/home.jsp?id=6&parentpath=0,1
 

 大渓は、台北市街を貫いて流れる大河、淡水河の三大支流に当たる大漢渓に面しています (図1) 。清朝の時代には河口の淡水港と大渓を両端とする範囲で水運が行われ、当初は上流域の復興区に産する茶、樟脳、木材などが貿易のために運び出されました4)。その後、大陸から移り住んだ富家が福建省泉洲から名高い職人を招聘して邸宅を建てましたが、定住した人々を始祖として、大渓に集積したさまざまな樹木を用い、気候が適していた漆の塗装を組み合わせるなどしながら、机、椅子、箪笥といった日常の家具から婚礼のための注文家具までがつくられるようになり、木器産業が確立されていったといいます。また、この中で大陸の工芸技術が台湾の当地に適合したものに発展されていったと、文献にあります5)

 

 

1 大漢渓流域を中心に表示した地形図。中央研究院人社中心GIS專題中心 (2020). [online] 臺灣百年史地圖. Available at: https://gissrv4.sinica.edu.tw/gis/twhgis/ [2023-12-23参照].



 1895 (明治28) 年から1945 (昭和20) 年まで、日本は台湾で植民地統治を行いました。日本政府は、日本本土での台湾の全資源の活用を意図して地場産業推進計画を実施し、大渓の木器産業に対しては日本本土から意匠、漆塗装、木工芸技術などを投入して発展を促しました6)

 1900 (明治33) 年、日本政府は「台湾家屋建築規則」を制定して市区改正に着手し、建築、都市の改造を進めました。同化政策の拠点とした教育施設、神社や監獄などが整備されると共に、街路に沿って連なる店舗併用住宅群の建設が先導されてゆきました。店舗前には、屋根のある歩廊、亭仔脚が設けられました。この亭仔脚は、強い陽射しや雨を遮るために台湾でよく用いられてきたもので、その保持、普及が同規則によって促されたといいます6)。このようにして整えられた町並みが、老街と呼ばれることになったとのことです7)

 

 桃園市は、2015年に大渓木藝生態博物館を開設して、日本統治期に建てられた建築群の修復を順次進め、2020-2021年には和平路、中山路 (新南) 、中央路の老街を「大渓好生活 (暮らしやすい大渓) 」とのコンセプトに基づいて修復、改修しています8) 。暮らしやすい大渓は、当地の自然・歴史地理に則して、清朝の時代以来の木器産業、木藝の復興、発展を中心にすえながらめざされています。日本統治期の建築群は、木藝生態博物館の館舎として木生活館/木家具館、工芸基地や工芸交流館に転用され (写真4) 、老街では生鮮食品、加工食品、野菜苗、衣類、家電品、家具、工芸品、書籍などを扱う商店、コンビニエントストアから茶房、食堂、民宿、銀行までが営まれ (写真5) 、生き生きとした暮らしと生業の場がかたちづくられています。

 台北市をはじめとする周辺地域から日帰り観光に訪れる人々が多いという当地ですが、いわゆる古い町並みを残しながらその中は土産物店ばかりとなって生活感が喪失され、歴史が形骸化して感じられる、日本にしばしば見当たる観光地の経営とは一線を画しているように思われます。実際、檐 (のき) 下の歩道は雨の日にも歩きやすく、沿道の店々からは活気が伝わり、人間的な生活空間にして商空間であるとの印象を受けました。



写真4 桃園市立大渓木藝生態博物館の工芸基地


写真5 亭仔脚の内側の食堂から中央路 (中央老街) を見る。2023/12/18

 

 大渓木藝生態博物館の「生態博物館」は、1960年代にフランスで創始されたエコミュゼ (Écomusée。生活環境博物館) 9)の参照に基づいて構想されました。同館の館長のお話では、フランスの事例も視察に赴き参考にしたが、その上で大渓では自然・歴史地理に則し、木器産業、木藝の継承、復興、発展を中心にすえて、「木藝生態博物館というコンセプトを設定した」とのことでした。同館は、建築群の正確な保存を基本として、それらの周囲に人々が戸外の居間や歩廊のように使える空間を作り足すことを徹底して行い、そうした施設整備と共に人々の生活文化から木藝までが引き継がれてゆくように展示や工芸教室の運営などのさまざまな機会を提供しています。


 さらに興味深いと感じたのは、木藝生態博物館の呼びかけに応じた民間パートナーが「街角館」として協力をしていることです。街角館は現在32あり、それらは地域の旅行代理店、家具店、豆食その他の伝統的な加工食品の店、カフェ、書店、民宿、木工や陶芸の工房、農場、料理教室等々、多彩です10)

 私たちヒジノワのメンバーは、C House溪房子の陳代表に紹介をいただいて、街角館の一つである民宿「新南12 文創実験商行」に滞在しました。ここでは、中山路 (新南) に面した二階建ての建物が民宿のフロントとカフェに、その奥に中庭を挟んで建つ建物の一階が書店、二階が宿泊室に、さらにその奥の中庭を挟んで建つ建物がオーナーの住居として、それぞれオーナー自身の改修によって利用されていました (写真67)。カフェの2階では、市民の勉強会やワークショップが開かれることもあるそうです。書店は、地域、環境、コミュニティ、文化、食などに関した本を選んで置いているとのことでした。



写真6 新南21 文創実験商行の宿泊棟から中庭ごしに見たカフェ棟。2023/12/18


写真7 新南21 文創実験商行のカフェ棟天井見上げ。煉瓦組積造の壁に木造の屋根架構が載せられる。2023/12/18

 

 

 木藝生態博物館は街角館を、「物語の登場人物が自分で語る物語」を通して実際に「地域の知識や生活に関するサービスを提供」し、「大渓の豊かな産業、文化、生活の様子を紹介」する場としています11)

 街に住む方にお話を伺うと、大渓木藝生態博物館とは「点と点を結んでつくる、まちあるき博物館」なのだと説明してくださいました。台湾の伝統的な住居を修復して料理教室を営み、街角館とする方が、「この場所がなければ (伝統的米食文化を継承する意義が) 伝えられない」 と話されていたことも心に強く刻まれました (写真8) 。



写真8 「コ」の字形の三合院形式で建てられた伝統的な住居で営まれる雙口呂文化厨房  2023/12/18



 このように、自然の営みに人の営みが重ねられてできた土地の歴史を、同じ地で今を生きる人々が共に連綿と引き継いでゆこうとされている中に浸ることがなんとも心地好く感じられた、初めての大渓行でした。自然の営みと人々の営みが折り重なって感じられる大渓という街の趣から、私はポーランドの詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカの「題はなくてもいい」という詩に用いられた「刺繍」という、ある土地なり世界なりの喩えを思い出しました12)
 

 この「刺繍」は、「色々な事情を縫いこんだ」ものとしてできていると、シンボルスカはいいます。実際、生きていると色々な事情に出逢います。すべてとはいかなくとも、できるだけそれら一つひとつから目を背けることなく真剣に向き合ってゆくことで、人生を豊かに生きることが可能となるのではないでしょうか。そして、この街にそう生きる人々が数多くいることの表れが、その趣であり風景であると感じました。
 

 シンボルスカの同じ詩に、「束の間の一瞬でさえも豊かな過去を持っている」という一節があります。大渓で出逢った人々は、「豊かな過去」を未来につないでいると思います。



注:

1)     C House 溪房子 http://www.chouse.life/

2)     ローカル系文化研究者、蔡 奕屏氏と台湾の雑誌『地味手帖』と共同で行う、台湾と日本の地域を結ぶ民間を促す活動。

     参照: 交流地域編集室簑田理香事務所|勝手姉妹郷プロジェクト(1) 台湾 大渓工藝週「DAXI CRAFT WEEK」 への招聘・参加 2022/11 

      http://editorialyabucozy.jp/sociological/3068#more-3068

3)     桃園市立大渓木藝生態博物館 https://wem.tycg.gov.tw/index.jsp

4)     同上「大渓木藝生態博物館パンフレット」日本語版

5)    黄 淑芬・翁 徐得・宮崎 清 (1997) 「台湾大渓地域の木器産業の展開: 地域生活を写す『鏡』としての地場産業のあり方を求めて」

     『日本デザイン学会研究発表大会概要集』44: 21頁 DOI https://doi.org/10.11247/jssd.44.0_21

6)    黄 蘭翔 (1992) 「日本植民初期における台湾の市区改正に関する考察」『都市計画論文集』27: 13-18頁 

     DOI https://doi.org/10.11361/journalcpij.27.13

7)     西川博美・中川 理 (2014) 「日本統治期の台湾の地方小都市における亭仔脚の町並みの普及」『日本建築学会計画系論文集』79 (700): 1459-1468頁 

     DOI https://doi.org/10.3130/aija.79.1459

8)    中華民国 (台湾) 外交部「桃園市大溪の古い街並み、『騎楼』と『牌楼』の修繕工事が年末に完了」『Taiwan Today』 (2021/06/03

      https://jp.taiwantoday.tw/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/%E8%A6%B3%E5%85%89/201464/index (2025-12-03参照)

9)    藤村好美 (2005) 「エコミュージアムと協同のまちづくり」『日本学習社会学会年報』1: 33-34頁 

     DOI https://doi.org/10.32308/gakusyusyakai.1.0_33

10)   桃園市立大渓木藝生態博物館「This is Daxi」日本語版 

  https://wem.tycg.gov.tw/home.jsp?id=7&parentpath=0,1

11)   桃園市立大渓木藝生態博物館「大渓木藝生態博物館パンフレット」日本語版

12)   ヴィスワヴァ・シンボルスカ (1997) 『終わりと始まり』沼野充義訳、未知谷、2002年改訂 

      http://www.michitani.com/books/ISBN4-915841-51-0.html