2024/08/30

旧仁鮒小学校の校舎解体による周辺の風環境への影響を考える The likely impact on the surrounding wind environment from the demolition of the former Nibuna Primary School building

 



 2024828日付「北羽新報(秋田県能代市) への寄稿「旧仁鮒小解体、住空間への懸念—環境デザインからみた影響—」を、同紙のご厚意により紙面の写真と共に掲載します。なお、文章を一部補い、図を2点追加しました。




写真1 旧仁鮒小学校 (秋田県能代市二ツ井町) 森野潤氏撮影

 

 私は、旧仁小学校校 (写真1) と体育の文化としての保存活用を求める市民の活同する一人です。日本大震津波被地の復興の参考にとの松原 (写真2) を二度れて以来、能代市の自然、史、文化に惹かれるようになり、同小学校のことも知りました。「木都能代」 (写真3) を支えた米代川流域の数ある林地の中でも森林道と木所をした歴史があり、今日もスギ植物群落保が存する仁地区に、樹齢350年の天然秋田杉で建てられた同校が残り、95年に達します。いってみれば、木都ののいくつもが承され、はっきりとした地区の性が保たれることに大きな可能性を感じます。同小学校は、川と集落の大部分を下ろす段丘の上にもうけられていますので、地区の子供たちが学び育つとして地区の方々に大切にされてきたことが景からわります。地区の方々が、さまざまに記憶けたかけがえのない建物と所なのであろうことも、です。同小学校とグラウンドが、急避難場所に指定されていることも、人々が安全な所に身を置き、助け合うために理にっているのではないでしょうか。

 


写真2 日本海からの強風による飛砂に備えて江戸時代に造林が始められ現在に至る風の松原。2013/08/23



写真3 「旧料亭金勇」(写真左) と「能代市議会議事堂」(同右)。共に国登録有形文化財。2014/07/18

 

 しかし、市は同校の解体工事の入札えているということです。それが、市民の意ということであれば、市外に住む私などが口をはさむ余地はありません。ただし、境デザインをとする者として能的にになることがあり、問題提起をしたいと思います。

 米代川は、南北に伸びる出羽山地や能代断
群を横切って西に流れています。統計では、能代と所で共に史上10位以内の日最大速と日最大瞬間風速をした向が、西北西、北西、西、南西、南南西と、大きく西方向に集中しています。
月別の最多風向は、能代観測所で12月から3月に西北西または西、鷹巣観測所で11月から5月に西南西または南西が占めます。しかし、観測史上10位以内の強風は、両観測所共おおむね季節を問わずに吹いています。 このように、沿岸部ではの松原や近道の防吹雪防止林などによりえられてきた日本海からの強風が、米代川に刻まれた谷を吹き渡ることに留意する必要があると考えられます (1)


図1 米代川によって東西に刻まれた谷。出典: 国土地理院|地理院地図3D https://maps.gsi.go.jp (廣瀬改変 2024)
 

 この谷は、能代平野を直状にへ伸び、太平山地に入ったところで南向きに、ほぼ直角に折れます。仁地区は、ちょうどその先に位置しています (2)



2 米代川が刻んだ谷が直角に折れた先に仁鮒地区はあり、切石地区を抜けて吹き込む西からの強風への十分な備えが必要と考えられる。出典: 国土地理院|地理院地図3D https://maps.gsi.go.jp (廣瀬改変 2024)

 

 国土地理院「地空中写真ビス」ウェブサイトでられる1989924日撮影の空中写真では、旧仁小学校の西にある共同墓地の西状の地がもうけられていたことが確認できます。これは、西からの雪へのえであったと推されます。同じ写真では、集落がつくられた微高地を取りくように木々が残されていた子がえます。西向きの木々は主に雪に、北向きの木々は米代川の氾濫対応していたものと考えられます。今日の空中写真では、そうした木々はったようにえます (3) 。全国的な状と同に、持管理に手用がかかることからやむを得ず伐られてきたのかもしれません。

 


3 1989/09/24 (写真左) と近年に撮影された空中写真を比較する。出典: 国土地理院|地図・空中写真閲覧サービス https://mapps.gsi.go.jp (廣瀬改変 2024) 、国土地理院|地理院地図 https://maps.gsi.go.jp (廣瀬改変 2024)

 

  そのような中で、コの字型の旧仁小学校校体育と大きな木々は、東側の一帯に暮らす方々にとって、現在も強風が家屋などの建物に直接当たるのを防ぐ能を果たしていると考えられます。今回、解体されるのは校ですが、体育は校の南西にあり、模は小さく、後山に寄っていて除けにかず、同小学校東側の居住境のえてしまう可能性があります。


 私は、市外にいて
調べられる料を用いながらこう考え、念します。実際に地区で暮らされる方々の考えや、地での調に携わられてきた候や防によりしい方々の意き、工事の影を今一度確認され、関係で合意をされた上で事行されることが、より安全で確実です。以上、境デザインを研究、践する者として問題提起を行います。 (栃木県益子町・廣瀬俊介)


参照:

1) 林野庁|森林鉄道

 https://www.rinya.maff.go.jp/j/kouhou/eizou/sinrin_tetsudou.html

2) 林野庁|東北森林管理局|仁鮒水沢スギ希少個体群保護林 

 https://www.rinya.maff.go.jp/tohoku/sidou/hogorin/nibuna_mizusawa.html

3) 国土地理院|地理院地図|地質図-産総研地質調査総合センター

 https://maps.gsi.go.jp

4) 気象庁|過去の気象データ検索|能代・鷹巣

 https://www.data.jma.go.jp/stats/etrn/index.php

5) 国土地理院|地図・空中写真閲覧サービス

 https://mapps.gsi.go.jp



2024/08/28
北羽新報 紙面

 

 おわりに、 旧仁鮒小学校の解体をめぐる北羽新報公開記事のリンク (同紙ウェブサイト上で検索。検索ワード「旧仁鮒小」) を共有します。
https://www.hokuu.co.jp/?s=%E6%97%A7%E4%BB%81%E9%AE%92%E5%B0%8F

 例として、2024/08/30 現在の上位 (時系列。最近の記事から過去の記事へ) 5件の題と発表日を写します。


能代市の旧仁鮒小解体工事、4040万円で落札 (2024/07/25)
https://www.hokuu.co.jp/?p=20882

能代市監査委員、旧仁鮒小の解体巡る住民監査請求を棄却 (2024/06/22)
https://www.hokuu.co.jp/?p=19854

旧仁鮒小の価値とは 木造建築の専門から4人が講演 (2024/06/02)
https://www.hokuu.co.jp/?p=19197

旧仁鮒小解体工事は不当とする住民監査請求を受理 能代市監査委員 (2024/05/24)

https://www.hokuu.co.jp/?p=18951

旧仁鮒小校舎解体延期、調査を 愛する会が能代市に住民監査請求 (2024/05/15)

https://www.hokuu.co.jp/?p=18718


 

2024/09/02 追記:

 この記事と内容をほぼ同じくする意見書を、これも2024828日付で能代市長に提出しています。以下の同市の制度を利用しました (念のため、お手紙もお送りしています) 。回答を求めるか否か選択ができますので、求めました。

能代市|市長への手紙 (Eメール)
https://www.city.noshiro.lg.jp/city/koho/shicho/mail/







 

 

 

 

2024/08/03

『失われた創造力へ—ブルーノ・ムナーリ、アキッレ・カスティリオーニ、エンツォ・マーリの言葉』を読んで Thoughts on reading 'Towards a Lost Creativity: the words of Bruno Munari, Achille Castiglioni and Enzo Mari'

 



 20245月に出版された多木陽介 (編訳著)『失われた創造力へ—ブルーノ・ムナーリ、アキッレ・カスティリオーニ、エンツォ・マーリの言葉』 (80-81頁。写真) を最近読みました。20世紀半ばから後半にかけて活動した3人のイタリア人デザイナーの言葉が右頁に、「これらの言葉を現代の視点から解釈した筆者の見解」 (5) を左頁にそれぞれ配した見開きを単位として、本書は構成されます。

 本書は、自分にとって共感するところが多く、学び多き本です。その中でも最も惹きつけられた言葉を以下に引用します。

   デザインとは、一つの専門分野であるというよりは、
  むしろ人文科学、テクノロジー、政治経済などについての批評能力を
  個人的に身につけることから来るある態度のことなのです。
 

 同書80 (写真)に載る、故アキッレ・カスティリオーニの言葉です。

多木陽介 (編訳著) 『失われた創造力へ—ブルーノ・ムナーリ、アキッレ・カスティリオーニ、エンツォ・マーリの言葉』 どく社           ISBN: 978-4-910534-04-6 価格: 3,000 https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784910534046


 ちょうどカスティリオーニが逝った頃、彼の考え方はデザインとデザイナーのあり方の本質に当たると思うと友人に教わり、確かにそうだと感じ、以来そのことを忘れずにいました。ただし、上に引用した言葉を読むのは初めてでした。彼の考え方に初めてふれてからおよそ20年が経つ今、新たに示唆に富む言葉に出逢うことができて、非常に嬉しく思います。

 編訳著者は、こう書いています。「彼らの仕事は、倫理性と社会性に富み、企業の利益よりも社会性のある創造 (中略) を使命とし、その後の消費主義社会のためのデザインとは全く相容れない性格をもっていた」 (3)

 日本においても、デザイナーを名乗る人々の「人文科学、テクノロジー、政治経済などについての批評能力を個人的に身につけること」の不足から、本人はどう「社会のためのデザインを」と言おうとも、その仕事は「消費主義社会のためのデザイン」に陥ってしまうという例が、顕著に見られると感じています。

 私たちは職業を通してしか社会とつながっていないわけではなく、むしろ市民として、民主主義社会に生きる主権者としての責任を他人任せにせずまず全うしようと努めなければなりません。私は、与党による政治が対米従属と政財界の利権差配にほぼ等しいかのような現在の日本社会は、根本のところで、商行為としてのデザインでどうにかできる状況にはないと受け止めています。それゆえ、いくつかの情報媒体を通して時々発信してきているように社会運動に参加し、デザイナーとして行える社会的行動を発想し実行してきています。

 そして、さまざまな社会運動に参加しながら、政治や社会の問題から目を逸らしたり安直に対したりせず積極的に関係を持とうとし続けることで「批評能力」を獲得し向上する人々も、私よりずっと若い世代を中心に増えてきていると実感しています。

 編訳著者による以下の言葉は、今、私が目にしている日本の状況にも当てはまると思います。「それまであまり見かけることのなかった新しい職能とともに、 (中略) 非資本主義的な態度と価値観を身につけて活動する人びとが、建築やデザインだけではなく、教育、経済、政治、環境、国際支援、芸術、演劇、金融、食、農業、福祉、医療、まちづくり、その他、実に多くの分野において (まだまだマイノリティではあるが) 登場してきている。現代社会の病み、傷んだ創造力を治癒・修復しに来たかのように、歴史が一度忘れたある創造力が蘇りはじめていると言えるだろう」 (3-4)

 「非資本主義的な態度と価値観」に私は共感しますが、それは、絶えず利潤を求め、資本を増やし、経済成長を図ることが可能という幻想 (自然資本を減じれば経済ひいては人間生存は持続不可能になります) に囚われて労働者や自然からの搾取を続ける、他者の犠牲の上に成り立つ社会構造を批判し、変革しようとすることではないかと、今は考えています。自身、自己批判と改善の努力が足りてはいませんが。

 私は、これまで「消費主義社会のためのデザイン」への批判と、異なる選択肢の提示を続けようとしてきたつもりでした。例えば、私は、2011年に発生した東日本大震災の複数の津波被災地で、住民有志の求めに応じて災害復旧代替案作成に携わってきました。

参照: 国際津波防災学会公開検討会発表スライド生態系を基盤とした防災・減災の実現に向けた総合科学的課題
 
  しかし、「社会のために」と言いながら、事業決定や用地取得の背景に政財界の癒着や異論を示す市民の排除などがある案件に携わり、一般に美麗と評価される外観をそれらに与えて問題を隠蔽することが「デザイナー」の役割であるかのような例が増えてゆくと感じられる一方、業界のみならず関連学界でもそれに対する議論や批評、批判は見当たらず、(デザインに幻想を抱いていたという意味で) 間違っていたのは私の方で所詮デザインとはそのようなものであったかもしれないと、半ば諦念しかけていました。

 他者の考えがつづられた文章を自分に都合よく誤読、曲解しないように気をつけなければなりませんが、冒頭に引用した文章は、このようなことなら自分もめざしてきたし、今後意識して一層はっきりとめざせるかもしれないと思えるものでした。そして、上記引用文にある「非資本主義的な態度と価値観を身につけて活動する人びと」の台頭は、特にここ数年の日本の社会運動の状況にも当てはまり、とても勇気づけられます。

 私もまた、「消費主義社会のためのデザイン」に対する批判と、本質的なデザインの可能性追求を、研究と実践を通じて続けてみたいと思います。

 

(短文ではありますが) 結びにかえて

 編訳著者のお父様は、私の大学時代のゼミの恩師でもあります。恩師からも本書の編訳著者からも、自分の学びと生き方にかかわる重要な示唆を受けていることに、感謝の念を覚えます。