2013年12月4日に、三陸ジオパーク推進協議会の主催により大船渡市民会館で行われた
三陸ジオパーク学術シンポジウム「宮沢賢治が歩いた三陸ジオパーク」にて、
ランドスケイプデザイナーとしてその可能性に関した意見を述べる機会が与えられました。
下に、その全スライドを掲載しました。
私は、宮沢賢治について詳しくはありません。
文学と科学を結ぶ、または科学の諸領域を文学によってつなぎ直す人のように、
いくつかの著作にふれて漠とした印象を抱いてきた程度です。
しかし、偶然に見つけて以来、忘れずにいた彼の言葉遣いがありました。
「装景」がそれです。
この言葉は、「装景手記手帳」と呼ばれる書画と『「装景手記」ノート』に遺されています。
この国土の装景家たちは
この野の福祉のために
まさしく身をばかけねばならぬ
「装景手記手帳」, A10頁, 1927年 (想定)
引用文献
鈴木 誠, 宮沢賢治のとらえた「造園家」と「装景家」, 日本造園学会研究発表論文集 (15), 1997年
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004305723
今回はそれを「鍵」として、20分という短い時間の中で、
三陸ジオパークのこれからに対する問題提起を行ってみました。
地と人のかかわりを、科学と文学あるいは詩をあわせて感じ、考えること、そして
その成果をもとに「この野の福祉のために」環境デザイン (/「装景」) が担うべきことを、
継続して探究していきたいと思います。
参考文献
高木秀雄『三陸にジオパークを − 未来のいのちを守るために』早稲田大学出版部、2012年 http://www.waseda-up.co.jp/cat649/post-630.html
参考ウェブサイト
三陸ジオパーク推進協議会
http://sanriku-geo.com/
インゼルホムブロイヒ美術館/Museum Insel Hombroich http://www.inselhombroich.de/?lang=en https://www.facebook.com/hirose.shunsuke/media_set?set=a.313011515462630.72175.100002613530684&type=3
IBA エムシャーパーク/IBA Emscher Park
http://www.iba-emscherpark.de/pageID_2507086.html
*地質学を専門とする方より、引用している情報が古いとの指摘をいただきました。当スライドはこのままにおきますが、以降は改めます。 |
*地質学を専門とする方より「北上山地全体が付加体であるかのような誤解を受ける」との指摘を受けました。私の説明に不足がありました。 |