2018/02/03

地域の豊かな過去を、地域の未来に生かすには How can we use affluent local history for the future of each local communities




 2018年1月20日に宇都宮大学で開かれたセミナー「学生と社会人による [対話と思考の場 02] 『地域づくり×生き方』の意味を問う」に、私は講師の一人として参加しました。同セミナーは、各地方の各地域で自然や社会がどうあるとよく、そのためにどんな生き方、はたらき方が選ばれ、時に創られてゆくとよいのか…といったことについて、徳島県神山町と福岡県福津市の津屋崎千軒でそれぞれ実践をされる西村佳哲さん、山口覚さんと参加者の方々とで意見を交わし合うものでした。

 この中で、第2時限に講義「地域の豊かな過去を、地域の未来に生かすには」を担当もしました。東北芸術工科大学で2003年から入学したばかりの1年生に向けて話してきた内容を、その後15年にわたり少しずつ直してきたものです。少ししっかりしてきたかなと思いますので、ここにレジュメの本文を載せてみます。


1. はじめに
 

 私は、千葉県市川市に生まれ育ちました。縄文貝塚の跡が残る台地のふちの住宅地に、父母は家を建てました。台地を上がり、畑の中の小道を抜け、小さな谷を見下ろしながら学校へ通い、帰宅してからは雑木林や水田や湧水池で遊ぶのが、幼かった私の日課でした。
 

 私は、そのような環境やそこに生きる生き物を守る仕事につきたいと早くから考え、しかしどうしても学校の勉強が好きになれずに一度挫折しました。そして、絵を描くことも好きだったため美術大学進学に方向を換えたところ、生態学的に環境をデザインする仕事があることを知ってこれを志し、今日に至りました。
 

 この講義では、そうした環境デザインの探求の上に私が「地域の豊かな過去を、地域の未来に生かす」ことをめざすようになった理由やいきさつについて述べてゆきます。


私の生家の向かいに数年前まであった雑木林。斜面の上には梨畑がつくられていた。このスケッチは、市川市内に築造された「大柏川第一調節池 (通称: 北方遊水池) 」の市民提案作成に参加した折、現存する生態環境を分析するため(そして地域を見つめなおすため)、1998年に描きました。


 

2. 風景のなかの豊かな過去
 

 ポーランドの詩人の詩から少し引用をします。

  束の間の一瞬でさえも
  豊かな過去を持っている
  土曜日の前には自分の金曜日があり
  六月の前には自分の五月がある

  この木はポプラ、何十年も前に根を生やした
  この川はラバ川、流れはじめたのは
  今日や昨日のことではない
  茂みの中を通る小道が
  踏み固められてできたのは
  おとといのことではない 


 Wisława Szymborska(ヴィスワヴァ シンボルスカの「題はなくてもいい」という詩 (1) の一節です。彼女は、感性をひらいていれば平凡だの普通だのと片づけられるできごとなど何一つない、と読み手に感じさせる詩をしばしば書いてきました。
 

 風景には様々なものごとが見え隠れし、時の流れがそれらを紡ぎあわせているかのようです。そして、私たちの心にもさまざまな感情が存在し、風景はさまざまにながめられています。
 

 私は、働き始めた頃はまだ人の住まない再開発地区やニュータウンの環境設計に主に携わり、泡沫経済期の終わり頃から福島県いわき市などの地方都市の将来を、暮らし手と共に考える機会が増えました。その頃から、こうした風景の「履歴」 (2) や人々の感情にはっきり意識が向くようになりました。


川に流されながらすり減って丸くなった石がある時代の流れの弱くなった川に置いてゆかれてたまり、別の時代の流れの強くなった川に削り残されてできた台地の崖すそに水が染み出ている箇所を、栃木県益子町で2015年に描きました。水は、台地の上に降った雨が土に染み込み、石のすき間を通り抜けてきたものです。地下の水の動きは、その上に水気の多い土に根を下ろす草木が生えることで風景から見てとれます。土地の人々はこの場を「井」と呼び、水神を祀り、井の上にも神社をもうけました。
参照: 土祭2015|益子の風土・風景を読み解く http://hijisai.jp/fudo-fukei/




3. 風景を読み解く

 私たちがその上に生きる大地の生い立ちをたどることからはじめて、地球上で時の流れが何をどう紡ぎあわせてきたか振り返ってみます (3) 。大地のかたち、地形は、地殻変動や気候変動、水に地表が削られる浸食、そのことで発生した土砂が別の場所にたまる堆積などを経て現在に至っています。大地の中身、地質は、マグマが地下で冷え固まってできた岩塊であったり、火山灰が海中で固結してできたこれも岩塊であったり、砂や粘土が層状に積もったものであったりします。また、それぞれの岩石は風化が著しかったりそうでなかったりと違った性質を持ち、地形はこのことも手伝って年月と共に変化します。地形はさらに、季節風や海流と相まって地域の気候に影響を与えています。
 

 こうして地域ごとに地形、地質、気候が定まり、それらの「環境条件」に合った生物が棲みついて、微生物からほ乳類までを含む生態系が生じたました。たとえば、ある山のふもとの岩のくぼみで、風に吹き寄せられたコケ類の胞子が育つと、時を経てその遺骸は微生物に分解され、岩が風化してできた細かな粒と混じりあい、もとのくぼみばかりか岩の周囲までに少しずつ土が生成されます。そこへ着床した植物の種子が発芽すると、その根は岩のくぼみに土がたまったなかを伸び、長い時間をかけて岩に裂け目をつくり、岩を割ってしまうことさえあります。
 

 やがて…光合成に必要な日光の量の多い植物の下に光がより少なくて済む植物が育ちながら、森林や草原がかたちづくられます。それを、他の生物が餌場や棲み場に用います。そして、植物の枯れ葉や動物の糞尿といった生物の老廃物や遺骸は微生物に分解されて土に還り、続く世代の植物や動物の体をつくることになります。植物が太陽から届く光からエネルギーを得ることのうえに、生態の系は在りつづけます。
 

 このような「自然」から、人間は生まれ出ました。そして、燃料革命がわが国の広範に及ぶまで「人間は自然の中に身を置いてきた」と表せます。はじめは川の水があふれるのをさけて高台に暮らしていた先人は、それより低いところで川の水が時折あふれたことからできていた湿地を田につくりかえ、川岸には水防林や堤をもうけました。田や畑のふちにあたる丘や山のふもとの林では、薪や炭や堆肥のもとになる落ち葉や柴を採るためにコナラやクヌギの世代更新を安定させて、後に里山と呼ばれるようになる場所をつくりました。それぞれは人の手になる仕事で、人間の行動範囲に含まれる土地のほぼすべてが厳密には人工環境としてつくり替えられました。しかし、それぞれの土地には多様な生物が生きることができ、人間は彼らを医療から衣食住の充実までに利用してきました。
 

 人間はまた、自らが暮らす地域でそれ程の無理がなく入手できる資材の性質に則して、土地の風雪や日照条件に素直にしたがった土木や建築を工夫してきました。そして、社会生活の場となる集落や都市を築いてきています。
 

 日本列島に生きる人々は、自然そして自然と折り合いをつけながら構えてきた村や町を併せて「風土」と観ています (4) 。風土をかたちづくる様々な因子とそれらの関係は、ここまで見てきたように直接的または間接的に風景に現れます。

 

4. 環境をデザインする (風土の部分をつくる/直す)
 

 人間は、大地の上に建物と庭や、田畑や、道や広場や公園などをもうけて自らの居住環境を構えています。環境のデザインは、これら人間の居住環境の計画・設計に当たります。土が風に飛ばされたり水に流されたりしないために備え、歩きやすくし、木陰の下で休憩ができる用意をし、地域の生物が棲む場はできる限り残し、雨水を大地に還すことで洪水を防ぎ、地震や火事が起きたときには人々の避難場所を確保する、そして季節の変化や鳥のさえずりや花の香りが私たちの日常に潤いをもたらすよう図る……それが居住環境の計画・設計です。
 

 私は、環境デザインはその対象地が立地する地域の風景の意味に則して行うべきと考えます。それは、先人が失敗を重ねながら見定め確立してきた知見と技術、「その場の自然と生きる方法、経験則」に学び、新しい技術を注意深くかけ合わせつつ、風土の全体を見すえて、その部分となる新しい場をつくることや、人間が一度壊してしまった場を直すことと整理できます。


市民提案をもとに整備された大柏l川第一調節池の現在、2016/05/22
参照: 廣瀬俊介「東北風景ノート|5月のよく晴れた日の北方遊水池」
http://shunsukehirose.blogspot.jp/2016/05/2016522the-bokke-reservoir-in-ichikawa.html
































5. 風土を引き継ぎ、受け渡す。人々の思いとともに
 

 地域の環境の性質に関係なく建てられた住宅は、古くからそこにある地域環境の性質に則して建てられた建物と不似合になるだけでは済まず、住み手にとって不都合が多いものとなるでしょう。また、周辺環境の性質に関係なく、まとまった規模での住宅地開発が行われて、一帯の井戸水が枯れ、気温が上がり、生き物が住めなくなり、子どもの遊び場も不自然きわまりなくなり、さらには災害に弱くなることさえ現実に起きています。
 

 人が風景に記憶をあずけているということも大切だと思います。誰にもなつかしい風景はあるはずです。生まれ育った地の風景は、小さかった自分や家族や幼なじみのことを思い起こさせてくれます。ところが、わが国の多くの地域で、風景がそれまでと大きく異なるかたちにつくりかえられています。記憶のよりどころをなくされた人の心が一体どうなるのか、私には不安に感じられます。

 それから、先にふれたシンボルスカの詩の終わりの一文をここで紹介したいと思います。「こんな光景を見ているとわたしはいつも/大事なことは大事でないことより大事だなどとは/信じられなくなる」。こんな光景とは、豊かな過去を持つ一瞬が積み重ねられた私たちが生きる世界の姿のことです。そして、私たちそれぞれの目はそれぞれに共に生きる世界を見つめ、それぞれの心はそれぞれに世界をとらえています。いずれもが大事で、差別なくそれを扱う働き方そして生き方を、私は望みます。
 

 風景を読み解くことをきっかけとして土地の自然の性質から自らが生きる土地への人々の思いや希望までを細やかに理解してゆく上に (5) 、風土を引き継ぎ、次代に受け渡すための環境デザインはめざせましょう。それは、「地域の豊かな過去を、地域の未来に生かす」ことの一端に当たると考えています。
 

 自然災害はありますが、それでも人と人、人と自然が協奏するようなデザインを、私は志向しています。 



注: 
1. ヴィスワヴァ シンボルスカ『終わりと始まり』沼野充義訳、未知谷、1997年、11-15頁 
http://www.michitani.com/books/ISBN4-915841-51-0.html 
2. 東北芸術工科大学卒業生、伊藤雅広が筆者の指導のもと卒業研究「大地の感触−仙台市七北田公園の再整備計画」(2005年) を進めるなかで、その根幹をなす問題を「風景の履歴」と表した。本人の許可を得てそれを引用する
3. 廣瀬俊介『風景資本論』朗文堂、2011年、32-44頁をほぼそのまま引用した
http://shunsukehirose.blogspot.jp/2013/04/landscape-as-capital.html

4. 薗田稔編『神道』弘文堂、1988年、6頁にある風土の定義を参考とした。「風土は (…) 自然条件にたいして人間が生業を通して働きかけた結果である。人間が何世代もかけて自然に働きかけて風土を仕立て、その風土がまた人間を育て上げる」 
5. 廣瀬俊介「東北風景ノート|2015年日本地理学会秋季学術大会発表資料『地理学を生かした地域文化振興 − 栃木県益子町 '土祭' における住民との風土研究を例として』」を参考に挙げる
http://shunsukehirose.blogspot.jp/2015/09/geographybased-enrichment-of-regional.html


追記:
同セミナーで配布したレジュメは下記研究者ウェブサイトよりダウンロードいただけます。 項目「講演・口頭発表等」にある「地域の豊かな過去を、地域の未来に生かすには」欄のダウンロードボタンをお押しください。
researchmap 廣瀬俊介
https://researchmap.jp/read0199902/?lang=japanese