2013/03/25

四倉海岸視察 2012/11/10 Landscape observation in Yotsukura, Fukushima 10/11/2012

2006年の秋、いわき市四倉町にて「四倉ふれあい市民会議」の皆さんと
2日間町歩きをしました。
それまでにも四倉海岸には幾度か出かけたことがありましたが、
町にお住まいで、町のこれからを考えて活動する方々と、
風景を読みつつ意見を交わしながら散策をしたことはありませんでした。
メンバーには同年代の方が多く、楽しい時を過ごしました。

その四倉海岸もまた、2011年3月11日の地震と津波の被害を受けました。

福島県は、海岸から内陸までにおい
様々な施設により多重的に津波防災を図る検討を行い、
 堤防の嵩上げと共に「頻度の高い津波を超える津波に対して、
津波エネルギーを減衰させる」「防災緑地」の整備を決めています。
同県は「防災機能だけでなく、地域の日常利用や景観の保全・再生の場、
また震災復興に寄与する施設としての整備について
十分な配慮が求められています。」とホームページ上でうたっています。

それは、この四倉海岸においてはどう可能なのか? 

仙台海岸ですでに問題になっている、津波に耐えて生きのびた、
あるいは「再生」ともいえるように浸水したあとに再び出現した生物たちが
盛土に埋められてしまうようなことはないのか?(人命を近視眼的に優先すれば
「生物を盛土で埋めても仕方がない」という誤解が生まれます)
という疑問を抱いた私は、現地で思考するために、
6年ぶりに四倉海岸を訪ねてきました。

  

























北辰妙見尊のまつられた海岸段丘の上に咲くツワブキ(Farfugium japonicum)の花


 津波被災範囲図(日本地理学会)。
赤い範囲が浸水区域、紫で示された範囲が特に建物に被害が見られた箇所となります。
国道6号のうち浸水を免れた区間は自然堤防上に当たります。
また、図中央から下に位置する最も長い紫の範囲は浜堤がくぼんで
周囲より地盤が低くなったところに当たります(後ろに地形分類図を引用します)。
出展: 日本地理学会「津波被災マップ」



























津波被災範囲図中の、図中央から上の紫の範囲を写した写真。



























消波ブロックが遠浅の海底地形を変えると、
波浪や津波のエネルギーの減衰力も低下される。
遠浅の地形は波浪や津波に対して抵抗をもたらし、

うねりを小さくさせる効果を持つ。
しかし、川からの砂の供給が減って砂浜が縮小されてきたのと共に、

消波ブロックが汀線と平行に設置されて、本来は岸から沖へ戻る海水の流れが
汀線と平行に流れて突堤などに当たり、強い沖への流れとなって
岸から運んだ砂を沖合へ流してしまうようになった(沖から岸に海水が流れ、
 岸から沖に戻る循環が健全であれば、砂が岸から波に運ばれても
続く流れに岸へ再分配されることになり、遠浅の地形も保たれて
波浪や津波のエネルギーを減衰し得る)。


出展: 「いわき市海岸保全を考える会紹介」『EQUAL Vol. 25』(いわき地域環境科学会、2012年)89、90

  

























四倉海水浴場のある砂浜から、漁港、海岸段丘を見る。



























海岸段丘面と斜面に形成された樹林。
高木層の構成種として私が見たのは、

クロマツ(Pinus thunbergii)やスギ(Cryptomeria japonica)などの常緑針葉樹、
シロダモ(Neolitsea sericea)、ヤブツバキ(Camellia japonica)といった常緑広葉樹、そして
エノキ(Celtis sinensis)、コナラ(Quercus serrata)などの落葉広葉樹でした。



























同様の構成による樹林は内陸部にも見られます。
 


























林縁にはトベラ(Pittosporum tobira)やヒサカキ(Eurya japonica)、
ネズミモチ(Ligustrum japonicum)などの低木が生えます。
いずれも暖温帯性の常緑広葉樹です。 

























































そして、6年前に出かけた時と同じくツワブキの黄色い花が咲いていました(北辰妙見尊)。
なお、写真の地盤の高さは標高約18mに当たります。

ちなみに、それぞれの丘が、漁に出かけた際に自身が乗る船

位置を確かめる目印にされたからか、いくつかの丘に神社がまつられています。
北辰は北極星、または北斗七星を指すとのこと。


トベラやツワブキは、四倉海岸の北隣に位置する蟹洗海岸の海食崖上に生えてもいます。
また、写真を写した地点から約200m北に位置する波立(はったち)海岸が、

ツワブキ群落の形成される北限となります。

小田隆則『海岸林をつくった人々−白砂青松の誕生』(北斗出版、2003年)37頁に

以下の文があります。「波打ち際近くの空中の塩分濃度は(…)
一般に地表に近いほど高く、高さが増すとともに急激に減少し、6~7mの高さになると
おおむね地表の4分の1以下に、20~30mの高さになると10分の1以下になってしまう。
したがって小島や崖などは風あたりはきびしそうに見えても
それほどの塩分は含んでいない。このため、暖温帯地域の海岸段丘や小島などでは
クロマツよりも耐潮性が低い照葉樹林が成立しているところも多い」。
 

千葉県森林研究センター研究員であった同書の著者は、
藤哲也『森林の防風機能』(日本治山治水協会、1988年)20頁より
「汀線から離れた各地点における捕捉塩素(塩分)量の垂直分布」図を引用して、
上記の説明を行っています。

少し引いて見た蟹洗海岸。奥の岬の頂部は海抜59mに達します。
前述の波立海岸はその裏側(北側)に位置しています。




























北辰妙見尊のある海岸段丘を成すのは、主に凝灰岩質シルト岩、砂岩等の未固結堆積物。
蟹洗海岸の露頭に見られる礫は、妙見尊社の周囲やそこから内陸側に下りる

切り通しの道に沿った露頭には見当たりません。



























表層地質図を地形図と重ねて読むことで、地形発達史の理解が進められます。
ごく簡単なところでは、図左上に赤茶色で示された花崗岩質岩石は福島県の浜通りと中通りを分かつ阿武隈高地を主にかたちづくっていて、それらが風化してできた砂(石英粒や雲母粒)が幾筋もの河川を介して海に吐かれ、沿岸流に岸へ運ばれながら砂浜が形成されていることが解ります
出典:『1/50,000土地分類基本調査(表層地質図)「平」福島県(1994)』




























砂浜の無植物帯が終わりコウボウシバ(Carex pumila)の生育する区域がはじまります。
この海岸は「四倉海水浴場」として人々に利用されていますが、

1985年作成の植生図には「砂丘植生」が形成されていると記述され、
現在もさまざまな海浜植物が飛砂の程度と空中の塩分濃度の変化にあわせて
生息箇所を分けている様子が確認できます。



























汀線から引いたところにできた塩性湿地にはシオクグ(Carex scabrifolia)が群生していました。
























































潮性湿地から離れた箇所に単独で生育していたシロザ(Chenopodium album)。

 

























好砂性のハマニガナ(Ixeris repens)。
砂の移動がはげしい「半安定帯」に生えるそうです。
風による飛砂があるところに生えているわけですから、確かにそうですね。




























好砂性のコウボウムギ(Carex kobomugi)。ハマニガナと共に、小砂丘の前線に生育していました。


ハマヒルガオ(Calystegia soldanella)とハマニンニク(Elymus mollis)が生える小砂丘上のくさむら




海浜植物がクロマツの実生。
小砂丘の後背部に当たる、ハマヒルガオなどにかわってススキ(
Miscanthus sinensis)が生える箇所で
見ました(一般的にはチガヤ Imperata cylindrica 群集に入り込んだススキが優占した箇所と考えられますが…)。

「飛砂は、生育基盤である土壌を不安定にすると同時に、つぶてになった飛ぶ砂が

樹体の枝葉を傷つけるため、塩分が容易に樹体内に侵入し、塩害を引きおこしやすくする。 
このため砂丘地では二重に塩害に強くなければ生き残れない。高木性の樹種で
その条件を満たしているのは、クロマツだけである」(小田前掲書、37頁)。
「わが国で、海岸のマツ林を御立山などの禁伐林に指定して、本格的に植林がはじまるのは、

江戸時代になってからである。(…)福島県の新舞子浜の海岸林は、正保三年(1646)に
平藩の初代藩主内藤政長が海岸の湿地帯の開墾と防潮、防砂のために植林したという」(小田同書、109頁)。
「福岡の黒田藩士・加藤鉄心は、承応年間(1652~1655)に、粘土をつめた米俵のなかにマツ苗を植えつけ

それをそのまま砂地に埋める方法をとった。この植えつけ方法は、ほぼ同時期に
平藩(福島県)でも行われた」(小田前掲書、147頁)。


 

























マサキ(Euonymus japonicus)の実生。
クロマツと同じく、小砂丘の後背部、防潮堤のすぐ前で確認しました。

「クロマツ林やアカマツ林(
Pinus densiflora)のほうが海から飛来する海水や塩分を防ぐ飛塩捕捉機能が
広葉樹林にくらべて高い(…)しかし、海岸林の機能は塩風防止だけではない。
飛砂防止や津波軽減などのはたらきもある。
これらについては、マツ林の下層に広葉樹が生育している林の方が効果があるのは研究上も明らかだ。
問題は(…)広葉樹はクロマツに比べると塩害に対してかなり弱いことだ。もし林の大部分が広葉樹に占められると、
数十年に一度でも大型台風などに見舞われれば広葉樹は壊滅的な被害をうける。
そこにふたたび海岸林を成立させるには最低でも30~40年はかかる。その間の防災をどうするのか。(…)」
したがって、前線部分は景観を重視してクロマツの純林とし(この文脈は本書を通してお読みいただかなければ理解できないかと思います。廣瀬註)、
内陸部は防災機能を効果的に発揮させるための上層クロマツ、下層広葉樹の複層林とすべきと考える。
ただし、複層林として維持していくにはかなり緻密な管理が要求される」(小田前掲書、241-242頁)。

なお、「上層クロマツ、下層広葉樹の複層林」的構成は、いわき市内の新舞子浜海岸林などに見られ、その津波軽減効果が高かったことが、前掲『EQUAL Vol. 25』(いわき地域環境科学会、2012年)に報告されています。


小砂丘を横から見る。植物の種数は前線部から後背部へと増えていきます。



























JR四ッ倉駅に近い、栗原邸跡の生垣。
マサキ、エノキ、シロダモなど、近隣の段丘上や斜面に生育する植物が利用されています。
生垣の右奥には、およそ300年前に植えられた旧浜街道のクロマツが見えます。




























視点を変えてみます。
町中の生活空間と植物について、少しだけ。
中央の白い看板には「木村医院 患者さん通路」とあります。

























































「木村医院 患者さん通路」は、このような草木の多いやわらかな「肌合い」を持つ路地でした。
地域で実現されてきた生活の風景は、被災地の生活再建を図る上での(小さくとも大切な)指標になると思います。





























地形分類図と津波被災範囲図を見比べると、三角州や浜堤などの微高地とそれより低い谷底平野や砂浜に
浸水範囲が集中していることがわかります。
もちろん地盤の高低の問題が基本にありますが、地形発達と地質は関係し、それが地下水位や地盤の強度、

ひいては液状化の危険性の高低などに結びつくため、土地利用の再考にあたって土地の形質を改めて確認することは
人間が安全に生活を営むために不可欠であると考えられます。
出典:『1/50,000土地分類基本調査(地形分類図)「平」福島県(1994)』




























北茨城市海岸林。
車窓からながめただけですが、砂丘後背部に海岸林があり、海岸線と平行してできた自然堤防、

ないしは砂州の上に道が通されて建物が並び、それより地盤が下がった(おそらくは元の)後背湿地に水田がつくられた、
地盤の高低や乾湿に則して土地利用が行われている例といえます(震源から遠いこともあるかと思いますが、
津波の影響や地盤沈下が一見してわかりません)。

ただし、生物多様性保全(それは人間に対する生態系サーヴィスの源となります)や、河川洪水への備え、

そして気候変動による海面上昇(「21世紀末に海面が0.3m上昇すると、現存する砂浜の56.66%にあたる10810haの浸食が生じる」。小田前掲書、238頁)への備えは、
この風景に足りていないと思います。
 

これらの観点も含めて(総合的に、未来の危機に備えて)、東日本大震災からの復興は
進められていくべきだと、私は考えます。